ありがとうバカボンのパパ、とママ、その町

漫画家赤塚不二夫氏が二日死去。小学生の頃に見ていた赤塚アニメはその後の僕に大きな影響を与えていると思います。何年生の頃か、動物園で何人かであべこべなテーマソングを大声で歌って歩いていた思い出がうっすら。赤塚ギャグ漫画には無茶苦茶な人々ばかり出てくるけれどその無茶苦茶ぶりを愛してやまない空気があって、つじつまなんてどこにも無くて、無くても全然良くて、一点の揺るぎもなく「これでいいのだ」と言えるパパは偉大。子ども時代にこういう物を見れたのは幸せだったのかも。これじゃあダメだ、負け組だ、とは思うこと無いもの。多くのキャラクターやエピソードが、飲み屋で見聞きした実在の人物が元になっているということを読んだことがある。舞台はいつも近所の町。未知の世界に宝やモンスター探しの大冒険へ出なくとも、身の回りに無茶苦茶な人が出来事がエネルギーがいくらでもあるんやなあと、現実が一番おもしろいぞ、と、教わったのかも。今週はテレビアニメを全部赤塚作品に変更して追悼してほしいものです。海外受けする綺麗で細かなジャパニメーションの基礎を作ったという部類では無いでしょうが、日本人ばなれしたどでかい器
を感じるこの元気こそ、今大事だと思うなあ、一家に一冊バカボンを、おそ松くんを。ケムンパスでヤンス、とか、そういう抜け具合もね。新聞などによると、気遣いが細やかな、優しい人だったそう。椎名町へ越してきて三年半、未だ行っていないトキワ荘跡に、焼酎でも持ってお参りしてきます。

コメント

  1. ヤスミチです より:

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    先ほど、夜、寝付かないたろうを自転車に乗せて、トキワ荘跡地に行ってきました。たろうの通う保育園のすぐ裏でした、しかし跡地を示す看板はおろか風情もへったくれも無いただの会社ビルと近代的住宅並ぶ路地。居合わせたおばあちゃんが「そこが水場だったのよ」という証言が無ければ、本当にそこがトキワ荘だったのかもわからなかっただろうなあ。取り壊しの際に各部屋のふすまを外に並べたのだそうです。途中ビールを買いに寄った酒屋さんも、「カミさんがトキワ荘に出入りする手塚治虫を見ていた」とか、近所の児童館が昔は銭湯だったとか、今更ながら、ご近所に暮らしていることが恐れ多いというか、励みになりました。赤塚不二夫さん72歳だったそうで、同世代のおじいおばあ、たくさん住んでいるもんなあ、もっと聞いたらいっぱい出てくるだろうね。さらに言うと、今住んでいるもう少し北には戦前戦後に若手画家が多く住んでいた区画があります、でかい絵を出し入れできるでかい窓と作業場を一階に居住部屋を二階に備えたアトリエ借家が集まった村、まだ池袋が葦に覆われた沼地のような場所だった頃の話かな。トキワ荘もそのアトリエ村も引っ越してきてから知った話。今の家賃や環境だったら当然若手画家は住んでいないでしょうけれども、そういう時代があった場所としていろんな逸話が残っている土地です、資料館くらいには足を運んで、自分の画業への励みにしよう、と、思いました。ご冥福を。お疲れ様でした、ありがとうございます。