丸木美術館へ行ってきました。

もう先週のことなのですが、正月気分も抜けた1/5(金)に、カミさんと電車に揺られて1時間、埼玉の田舎にある丸木美術館に行ってきました。とても素敵な環境で、ズシンと来る絵の数々でした。


(つづき)
子どもが産まれたら夫婦二人で出かけることが出来なくなるでしょうから、産まれる前に行こうと言っていて、先月に行くつもりが結局出産間近の今になってしまったのですが、行って良かったです。
そこは、社会の教科書でおなじみの、原爆の図、という絵を展示しているところです。この絵は、水墨画家の夫・丸木位里さんと油彩画家の妻・丸木俊さんの共同作業によって描かれた絵です。32年もの間で大きな大きなびょうぶに描かれた絵は、全部で15の作品になっていて、これを国内外いろんなところへ持ち歩いたそう。
僕がファンになったきっかけは、おととし仕事で沖縄に行った際に佐喜眞(さきま)美術館という所で丸木夫妻の「沖縄戦の図」という大きな大きな絵に遭遇し、言い表せぬ衝撃を受けたこと。とにかく大きく重たいその絵は、絵というものが時に写真や映像よりも見た人に伝えられる伝わってしまう力を持ち得るということを、ペーペー絵描きの僕に見せ付けてくれた。その時買った本橋成一さんという写真家が撮った写真中心(字も大きく読みやすかった)の「ふたりの画家」という本で、チャーミングでユーモラスで素朴で実は熱心な老夫婦の写真や談話を見るうちに、すっかり僕はファンになってしまった。
もともとこの大作を飾れるために安い土地を探して越してきて、敷地内に住んで、絵を飾って、つぎはぎで部屋や建物が増えていって、美術館と呼ばれるようになって、みたいな、等身大の、というか、なりゆき、というか、二人の生きる力のなせる技なのだろうけれど、そういう部分に惹かれた。だから、どんな場所でどんな建物で、というのも見たかったし、原爆の図以外に、共同作業ではないそれぞれの絵も見てみたかった。
えーと、この先長い文を書いたのですが、手順誤って消えてしまいました。
消えてしまった文を要約すると、目の前に川が流れていて、川も木々もロケーション最高。原爆の図、ほか共同作品の大きな絵は、見ている僕らと同じくらいのサイズ(つまり実物大)で人間が描かれていたりして、たくさんたくさんの人々の苦しみ・怒り・悲しみは、とても重く、辛い。位里さんの母、丸木スマおばあちゃんの絵を展示する部屋があるが、まっすぐで元気で喜びに満ち溢れた絵が最高である。スマさんは働き者だが読み書きができず、俊さんに進められ73歳から絵を描き始め、死ぬまでの7年間描きまくったそう。重たい絵の多いこの建物の中で、いいクッションであり、絵を描く喜びを見せ付けられてまばゆかった。夫妻のアトリエだった畳の部屋に上がれる。コタツにはお菓子があって本が読めて、絵を描いていたであろう机が並び、立派な梁があって、目の前は川、素晴らしい。位里さんが95年に94歳で、俊さんが2000年に87歳で亡くなっており、二人亡き今、丸木美術館は存続の危機にあるそう。入館料は735円だが2000円で1年入場無料の友の会に入会できます、お得。世界で唯一の被爆国日本に暮らす者として、時間を作って一度は訪れてみる価値のある場所だと思います、是非。僕もこれから人生のうちで何度も行きます、友の会にも入ったしね。5/5(子どもの日だ!)の会館記念日と8/6のヒロシマの日にはお祭りがあるそう。館内空調効いておらず大変寒かったので冬に行く方は厚着とカイロを。個人的にはポカポカヌクヌクの部屋で見るよりも寒い部屋で見れて良かったと思いました。
以上、消えてしまった文を要約するとこんな感じです。是非行ってみて下さい。お弁当持って行くと良いよ。
丸木美術館のサイト
佐喜眞美術館のサイト
「ふたりの画家」出版社オフィスエムのサイト
ふたりの画家amazonでも買えます
丸木スマさん(丸木美術館サイト内)

コメント

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    けっこう全国(というか国外も)飛び回って、いろんなところに絵を残しておられるようです、ふすまなどは保存も難しいでしょうから、この先そう長くは拝めないかも分かりませんね。

  2. Ρ━s より:

    私も以前、松本のお寺で丸木さんの絵を見た事があります、長野県の青年団の人に案内して頂いて襖絵を観覧し住職の講話を聴きましたょ。

  3. SECRET: 0
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    へー、早速「吉見百穴」で検索したら出てきました吉見町役場ホームページ。
    http://www.town.yoshimi.saitama.jp/guide_hyakuana….
    地下工場を作るために、邪魔であった川の流れを変えるほどの大工事であったこと、全国から集められた3,000~3,500人の朝鮮人労働者による昼夜を通した突貫工事でできたことなど記されてあります。さぞかし過酷な強制労働であったことでしょう。たくさん亡くなったのでしょう。戦争とは、歴史の遺産も遠い遠い先祖のお墓も、民間施設も軍事施設も、戦闘地域も非戦闘地域も、味噌もクソも無いものなのですね。
    本来任務の増えた防衛省の宣伝に欧州を回る僕らの国のリーダー安部首相。キレイ事で片付かない戦争の悲惨さを当然知った上で、戦争を未然に防ぐために働いてくれているものと信じたいものです。

  4. より:

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    私も二度かな、行きました。はらっぱ祭りのかつてのスタッフが関係した、美術館支援のイベントがらみ。確かに一度は訪れたい所ですね。
    絵とは関係ありませんが、東松山の反対側には吉見百穴があります。墓とも住居跡とも言われていますが、問題なのは、そこがかつての「大東亜戦争」時の指令施設とするべく、朝鮮人を動員して整備しつつあった「防空壕」として使われたということ。
    「原爆」もそうですが、一見の価値はあります。観光地ですが、そういう視点で見るといいかな、温泉もあるし・・・。

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